04
15 2024

<WORLD>日本とカナダ、カナダと日本。 「グローバル」の本当の意味について考える。

トロントメトロポリタン大学職員 井田 梓 2007年経営学部経営学科卒業

井田さんは、北海学園の経営学部経営学科を卒業したあとに、カナダの公立大学の大学院に進学されました。語学やビジネスを学んだあとに、北米の自動車メーカー、精密部品メーカーでを経て、現在は「Toronto Metropolitan University」にて、修士課程のプログラムに所属する学生や教授たちへのサポート業務を担当しています。新入生オリエンテーションやプログラム説明会の企画・運営、生徒募集のためのマーケティングや広報活動、入試業務、履修登録、授業スケジュールの管理、成績評価の確認、生徒や教授陣への連絡、プログラム予算の管理、奨学金の分配、卒業要件の最終審査など忙しい毎日を過ごしているそう。

もともと英語で文章を書いたり異文化コミュニケーションに興味があり、大学在籍中に総合実践英語を通して身につけた英語力を活かしたいと思いカナダへの留学を決め、そのまま約二十年ほどこちらで生活しています。カナダは世界に先駆けて多文化主義を掲げ、さまざまな場所から集まってきた移民によってつくられた国です。だからこそ、もう長いこと国の政策として多くの移民を受け入れてきました。もちろん私もその移民のひとり。本当にさまざまな背景を持つ人たちが一緒に暮らしています。日本ではお父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも日本生まれ日本育ちという人が多数派ですが、こちらではそういった方は少ないんです。特に大都市のトロントでは、代々カナダ生まれカナダ育ちという人を見つけるほうが難しい。例えばフランスで生まれてカナダで育った人、ロシアで生まれてスペインで育った人、わたしのように日本で生まれ育って成人後にカナダへ来た人、といった具合に国籍も人種も混ざりあっています。言語も多様です。人によって英語のアクセントはさまざまですし、3カ国語以上を使いこなす人もたくさんいます。

そんな環境ですから、私はこちらに住んでから今まで明らかな人種差別を受けたという記憶はありません。さまざな人がともに暮らすということが当たり前なんです。しかし、そんなカナダもいま、大きな分岐点にいるように思います。ここ数年で、移民としてカナダに入ってくる人が多い反面、出ていく人も多いんです。トロントなどの都市では、世界の都市と同じく住宅コストが急激に上がっています。仕事を求めて都市に住みたくても、住める場所がない。仕事が見つかって、住む場所も見つかって、どうにか暮らしていける“ラッキなー人”は残れるけど、そうじゃない人は「さようなら」なんて冷たい状況になってしまっているように思います。また忘れてはいけないのは、移民の国=先住民の土地を奪ってつくられた国でもあるという事実です。

「グローバル」という言葉は、貿易などの経済活動や人口移動などを指標にしがちですが、本当は数字には置き換えられない、一人ひとりの生き方や相手を受け入れる姿勢にあると思うんです。

言葉が違ったり、大切にしていることが違ったり、自分にとっての当たり前がそうじゃなかったりする。自分と相手の違いを見つけることは簡単ですが、フィルターを通さずに相手と向き合い思いやる気持ちはどこにいっても大切なことだとこちらで長く暮らすほど感じるようになりました。英語をはじめ言語はあくまでコミュニケーションのツールのひとつで、それ以上に人種・国籍・性別・年齢、障がいの有無、価値観など多様性を受け入れ認識し行動することが、わたしは本当の意味での「グローバル」だと思っています。

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