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04 2022

<TOPIC経済学部> 沼田町をフィールドに ヒト・モノ・コトとの出会いから学ぶ。

「学びの場はキャンパスだけではない」。経済学部の「地域研修」は、そのコンセプトに基づき、自治体や企業、地域住民などによる地域づくりの活動を体験することで、現実の生きた地域経済・社会を学びます。ゼミナール単位でテーマを設定して現地研修を行い、研修の成果は最終的に報告書にまとめます。毎年、さまざまな活動が展開されていますが、ここでは本学が包括連携協定を結んでいる沼田町をフィールドに実施された西村・濱田合同ゼミと藤田ゼミによる二つの角度からのまちづくりに関わる取り組みについて、参加した芳賀さんと坂元さんに聞きました。

経済学部2部地域経済学科3年 芳賀 優太朗(市立札幌清田高校出身)
経済学部2部地域経済学科2年 坂元 凌河(札幌静修高校出身)

「炭鉱」の歴史を浮き彫りに。

–西村・濱田合同ゼミは、2年続けて沼田町で研修を行ったそうですね。

芳賀】 前回はJR留萌本線の廃線問題に関して、町内を回って住民の方にアンケート調査を行いました。存続を望む声が多く、それをもとに、今後の公共交通や石狩沼田駅の駅舎の在り方などを考えました。また、町内のさまざまな地域資源も視察させてもらい、その中に炭鉱遺産がありました。沼田町はかつて炭鉱の町として知られていて、その遺産を観光資源としてもっと活用していけないかということから、その第一歩として、今回の地域研修では炭鉱の元住民の方々に話を聞きました。歴史的な資料があまり残っていないため、町からの要望もあって、インタビューした内容は冊子にまとめ、炭鉱の歴史をもっと知ってもらうために活用できるようにするまでが今回の地域研修の目的です。コロナの影響で沼田町へ行く予定が何回か延期になりましたが、町の皆さんの協力もあって10月に1泊2日で研修を行うことができました。

–インタビューはどのようにして行ったのですか?

芳賀】 1日目は4名、2日目は2名の元住民の方に話を聞きました。先生と学生6~7人で2グループに分かれ、2時間ほどインタビュー。質問事項は事前に準備し、「炭鉱住宅はどんな感じだったのですか」「どういう方が住んでいましたか」「どんなものを主に食べていましたか」「当時流行していたものは」など、当時の炭鉱街の暮らしの様子を聞いていきました。僕は2名の方から話を聞きましたが、どちらも80歳。炭鉱は1960年代に閉山し、炭鉱街は失われてしまったのですが、当時のことをよく思い出してくださって、映画館などの娯楽施設もあってにぎやかだった様子も聞けました。事前学習で資料を読んでいた時には、街の様子はなかなか思い浮かべられなかったのですが、実際に話を聞いていると、こういう人たちがいて、こういう暮らしがあったんだとリアルに分かってきて。当時の地図も合わせて見ていると、街の映像が浮かんでくるようでした。

–前回の地域研修では、かつて炭鉱街があった場所の見学もしたのですよね。

芳賀】 はい。今は立ち入り禁止になっているので、特別に許可をもらって入ったのですが、一帯は木々に飲み込まれてしまっていました。隧道(ずいどう)マーケットというかつては商店が並んでいた場所も、行った時は真っ暗で、懐中電灯で照らすと当時のお店の看板やポスターなどが少し残っている程度。ただ、前回の地域研修でその場所を見ていたからこそ、元住民の方の話を聞いている時も当時のイメージをより具体的に思い浮かべられたと思います。また、今回の地域研修ではインタビューすることの難しさも感じました。こちらの話がうまく伝わらなかったり、話をどうやって広げていったらいいか迷ったり、準備はしていったものの実際に会って話をするとその場で対応しなければならないことが多くて。でも、こうした聞き取り調査も通常はなかなかできないことなので、いい経験ができたと思っています。

 –2年続けて沼田町に行ったことで、研修の深みが違ったのでは。

芳賀】 前回は町内を歩き回ってアンケート調査をしたので、町の様子をある程度分かっていたことが、今回のインタビューの際に役立ったかなと思います。お世話になった方と今回も町の中で出会ったり、以前はまるで知らない町だったのに、より親近感が湧いてきました。コロナの影響が落ち着いたら、ぜひまた行く機会をつくりたいなと思っています。そもそも僕が地域経済学科を選んだ大きな目的が、地域研修でした。普段の生活では味わえない体験をしたり、いろいろな人の話を聞いたりできることが面白そうだなと思ったんですが、実際に地域研修に参加して本当にそう感じました。炭鉱に住んでいた方と接する機会は今の自分の生活ではないことですし、学生のうちにこうして直接、話を聞けるチャンスがあって良かったです。これから社会人になった時にも、生かせる経験になったかなと思います。

–将来については、今はどのように考えているのですか?

芳賀】 公務員志望から、民間に変更しようかと考えているところです。まちづくりや地域活性化に携われたらいいなと、公務員を考えていたのですが、例えば金融業界ならいろいろな町の企業の方に融資して、その町の活性化につなげていくなど、自分がやりたいことができるのかなと思うようになりました。ずっと北海道に住んできたので、少しでも地域の力になれればと思うんです。ですから今は、金融業界以外にも、いろいろな業界を見ています。そういう意味でも、沼田町でまちづくりの現場を見ることができたのは、僕にとって大きかったです。事前学習では道内のいろいろな地域の事例から日本各地、世界の事例も見て、活性化やまちづくりに関するさまざまな方法があると知ることができました。それがとても面白かったですし、自分の将来について考える材料にもなりました。西村先生のゼミに入って学び、地域研修に参加したことで、北海道の地域活性化に対する思いがより強まりました。

「鉄道」から観光資源を考える。

–藤田ゼミは、どんなことに取り組んだのですか?

坂元】 沼田町はJR留萌本線の廃線問題を抱えているのですが、町の皆さんは存続を望んでいます。そのために、これまでにも先輩たちが、町内にある石狩沼田駅の駅舎活用の方法などを考えてきましたが、僕たちは鉄道に関する新たな観光資源を掘り起こすことによって、利用者の増加や鉄道存続につなげていけないかと調査に取り組むことにしました。町の皆さんが気づいていないような観光資源を見つけようと、まずは沼田町について知るところから事前学習を始めました。僕をはじめ4人のゼミ生は、沼田町に行ったこともなかったので。

–実際に行ってみて、どんな感想を持ちましたか?

坂元】 2泊3日の日程で町内を巡り、石狩沼田駅の駅舎やNHKの連続テレビ小説「すずらん」の舞台になった恵比島駅などを「どう人を集めるか」という視点で見学しました。町の現状について調べ、準備をしてから現地で実物を見たことで、より具体的に考えを深められたように思います。まず沼田町に来てもらい、その魅力を知ってもって、さらに何回も来てもらえるようにするには、「見る」だけの観光では難しいのでは。何かアトラクションとして楽しめるものができないか。例えば、ARなどを使って景色を再現したり、沼田町はホタル観賞でも知られるのでそれと景色を組み合わせたり。ほかにも、雪中米やトマトなどの特産品を観光資源としてもっと活用できないか。そんなふうに、みんなで意見を出し合っていきました。鉄道・駅を、観光の出発点にしたいというのが僕たちの考えです。

–もともと観光分野に興味があったのですか?

坂元】 藤田ゼミは「交通と観光」を扱っているのですが、僕は観光の方に興味があってこのゼミを選んだんです。高校の卒業旅行で北海道ってすごいと改めて感じたことをきっかけに、北海道に大きな魅力があることは絶対間違いないし、それをどう伝えていくかが大切だと考えるようになりました。大学入学時から北海道の魅力を伝えられる観光に関わる仕事ができればと思っていたのですが、このゼミで学んだことによって、交通と観光は密接に関係していることがよく分かりました。ですから今は、交通と絡めて北海道の観光について考え、アピールしていく視点を将来の仕事に生かせればと思っています。

–地域研修は、大きな経験になったようですね。

坂元】 はい。僕たちの学年はコロナ禍で大学生活が始まったので、授業もオンラインが多く、正直に言うと大学ってなんだろうという気持ちになったりもしました。だからこそ、仲間と一緒に動いて現地で学んでいく地域研修はよりいっそう楽しみだったんです。コロナの影響が落ち着いたタイミングに、沼田町の皆さんの協力で研修ができて、宿泊場所も町が観光政策として運営を始めたトレーラーハウスをモニター的に利用させてもらいました。現地で自分の目で見るとやはり見え方が違ってくるし、考えも広がる。本当に良い経験になりました。研修後に学内の地域研修報告会に向けて、発表の内容やアピールの仕方などをゼミで話し合ったのですが、白熱した議論になりました。現地に行ったことで、それぞれが明確に自分の意見や感想を持てたからだと思います。この議論が楽しくて(笑)。ゼミってこれだ!という手応えを味わうこともできました。

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